【累々舎】京庵・お題02

累々舎

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焔褥

「フッ、愚か者め……! その力は一族の血を受け継いだ者でなければ、手にする事は出来んのだ……」

微かに錆を含んだ低い声で冷淡に告げ。
主催者であり黒幕であった男から庵が『力』を回収する様を、京は遠目に眺めていた。
伏した男から漏れ出した、青紫の鬼火のような光が庵の全身を包み込む。
その背を見据えながら、京は庵の近くへと歩を進めた。
――荒れ果てた、だだっ広い研究施設のような部屋。
巨大な裂傷にも似た、切り刻まれた床やら壁やら、縦横無尽に張り巡らされた鉄パイプやら。焼き焦げ、あるいは溶け――燻る金属やらの臭気が、そこかしこに色濃く蟠っている。
人知れずに行われた、庵と黒幕との闘いの凄まじい痕跡が視界に入るにつれ――京の内心にふつふつと怒りが湧き上がってきた。
その感情を押し隠しもせず歩き続けていると、気配を察知した庵がゆっくりと肩越しに振り向く。
疲労のせいか、眇めた切れ長の双眸の縁に淡い陰影を載せた白く美しい面差しは、本人の意は知らず――どこか哀愁を帯びているように見える。
……だから、京は。
片眉を吊り上げて唇を歪める、性質の良くない笑みを浮かべた。
そんな表情を作ると。端整だが、歳と体格の割に些かあどけなささえ感じさせる人好きのする顔が、黒幕もかくやというほどの黒い翳りを宿すのだが。
生憎、対峙する庵はといえば――外見こそ繊細な精微さに満ちているが、本質は凶獣そのものといった男であり。京の黒い笑み如きで怯む性根など、はなから持ち合わせていなかった。
その上、この時の庵は、京以上の怒りを抱えていた。

KOF準決勝の場で、京と庵は相闘う機会を得た。
だが、何を思ったのか……。
防御など最低限で猛攻する庵に対し、京は防御を最優先とした闘いを展開し。結果、タイムアップで庵が判定負けを喫する羽目となったのだ。
庵の激昂は言うに及ばず。
その後の試合はすべて放棄、それを咎めたチームメイトを血祭りに上げ。
それでも怒りが収まらなかった庵は、そんなルールを採用した主催者が悪いとばかりに、たった一人で黒幕の間に乗り込み――いわば、八つ当たりで倒したのだった。

……とはいえ。
庵にとっても楽に倒せる相手ではなく。
気力も体力も既に底値。
しかし現れたのは、そもそもの怒りの原因たる張本人である。
庵は自らの状態を顧みもせず、柳眉を吊り上げて唸った。
「わざわざ現れるとは――俺に殺される覚悟が出来たか、京……!」
怒りを闘気に変えて。枯れることない憎悪と殺気をも織り交ぜて、庵がゆっくりと構えを取る。
その様に、京は薄く笑った。
「おいおい……、そんな手負いで俺と闘れると思ってんのかよ。甘いぜ、八神」
腰に手を当て、小馬鹿にしたように鼻で笑う京に、庵が眉間の皺を増やした。
「甘いだと? そんな台詞は俺を倒してから言うがいい……!」
ギリギリと、弦を引く弓矢にも似た緊迫感を。京は心地良く受け止めていた。
短くなった蝋燭の、最後の燃焼を思わす激しさを、うっとりと愉しむ。
躊躇いもなく、容易くその領域へ入り込める庵は、間違いなくどこか壊れている、と京は思う。
生物ならば当然備える自己防衛的な本能すら持たぬ性質が、庵には実に相応しく、好ましくも感じる。
……だが、問題は。
ククッ、と京が喉の奥で笑い声を立てた。
「俺以外の奴相手に、随分と盛大にやらかしたじゃねぇか……」
低い声で言いながら、京は悠々とした足取りで平然と庵の間合いに踏み込む。
反射的に、じり、と半身を引きながらも。
闘気も気迫もなく近付いてくる京の、昏い光を宿した大粒の黒瞳を、庵が怪訝そうに見据える。
――京とて手負いなのは、庵にも見て取れた。
初動もなく攻撃できる状態ではないと読み、身体の動きより気の動きを見逃すまいとして……、そのせいで、反応が遅れた。
ゆるりと。敵愾もなく上がった京の手が、構えをとる白く細い指先に絡まった。
「お前、判ってねぇだろ」
言葉とともに。庵の手は強い力で握り込まれ、京の方へと引き寄せられる。
傾いだ庵の身体に京の腕がとらえ、抱き込まれた。
「ッ……!?」
予想外の行動から逃れようと身を捻る動きを京が封じて。
「怒ってんだぜ、俺」
艶のある低い声が耳元に吹きこまれ、庵はビクリと身を竦めた。
京が顔をずらし、爛と光る庵の琥珀の眼と視線を絡める。
「俺以外の奴に――こんな全力で闘いやがってよ……」
どこか拗ねたような響きに気付きもせず、ただ反射的に庵は吼えた。
「ふざけるな! 俺とまともに闘わなかったのは貴様だろうがっ……!!」
身を離そうと暴れ出す庵を、それでも京は離さず――納得したように笑い出した。
「あぁ、それは……。そうか、それでお前、怒ったのか」
「怒る? そんな生温いもので済むか!! 今すぐ殺してやる!!」
カッと眼光を閃かせる庵に危険なものを感じ。京は庵の背と腰に回した腕に骨が軋むほどの力を込めて、白い耳朶に京は口を寄せた。
「……いや、まぁ聞けって」
庵の苦悶の息に構わず、京が苦笑を含ませて言う。
「闘いたくなかった訳じゃ、ねぇよ? ただ……」
――お前が、すげぇ綺麗だったから。
囁かれた言葉に愕然として、庵の動きが止まった。
「……なっ……?」
硬直した身体に回した腕を、僅かに緩めて。京はそんな庵の顔を愉しげに覗き込んで笑みをもらす。

……そう。
京もまた、庵との闘いを待ち望んでいたのだ。
最初に、庵の試合を観戦した時から――生命の軌跡を描くような、野性的で鋭くしなやかな動きも迸る紫炎も何もかも……、何故それが自分でない相手に向いているのかと、激しく憤りを覚えるほどに。
そうしてようやく、対峙の時を迎え。
目の当たりにした庵の闘いぶりは、想像以上に京を虜にした。
庵に呼応するように京の闘気も未だ知らぬ次元にまで高まり、衝動のまま闘いたいたいという欲求も生じていたのだが。
あと少し、もう少しだけ見ていたい……、とそうこうするうちに、終了時間が来てしまったのだ。
その結果に、不味った、と思ったのも確かだが。
すぐに決勝の予定地に移動したりと予定は詰まっていて、京にもどうしようもなかったのである。

そんなことを、軽く並べ。
「……けどまさか、こんな所で憂さ晴らしされるとは思わなかったぜ」
京の昏い笑いに、庵も目端を吊り上げる。
「フン、くだらん。この程度、余興にもならん。――今すぐ闘うぞ、京!」
「ハハッ! お前ならそう言うと思ったけどな……。けど、ダメだな」
ニッと口端を吊り上げ。不意に、京が怒りの形相をとった。
「他の奴と闘りあった後の残滓程度じゃ、全然満足出来ねぇんだよ、俺は……!!」
大粒の黒瞳を燃え立たせ。白く滑らかな庵の頬に京の指が這う。
「八神――テメェがやらかしたことだ……。責任は、とれよ……?」
熱い声に。庵は背筋にゾクリとした奮えを感じた。
それは、闘いの前兆のような、昂揚感に似て――京の言葉の意味を考える間も、なく。


――何が、どうなっているのか。
気付けば庵は、京に口付けられていた。
驚愕する唇を割って舌が入り込み、咥内を好き勝手に探られる。
ハッと我に返り、押しやろうとすれば、舌を強く吸われた。
「……ッ……!!」
誇示するように開きっぱなしのドレスシャツの胸元から容易く京の手が侵入し、明確な意図を以て――弄られる。
庵の全身に、悪寒が走る。……否。
戦慄にも似たそのさざなみは。混乱する意識を巻き込んで――別の感覚を呼び覚ましつつあった。
「貴、様っ! 何して……っ!!」
息苦しさと、身の裡深くから湧き上がる感覚に紛れもなく怖れ。庵は必死に頭を振って京の唇から逃れて叫んだが。
首筋を噛むようにきつく吸われ、抗議は苦鳴に取り替わってしまった。
触れるごとにビクビクと生理的な反応を返す庵に気を良くして、京の手が庵の下肢に伸びる。服の上からなぞるように動き、握り込まれる。
「……! やめっ……!!」
身を二つに折り、好き勝手に動く京の手首を取り押さえようと、庵の白い手が絡む。
震える指先が京の皮膚を破って赤い傷跡を作ったが、京の動きは止まらなかった。
その、代わり。
「一つ――はっきりさせとくぜ、八神」
熱い真摯な声が耳に吹きこまれ、庵が固まった。
僅かに潤み、それでも冷たい光を放つ琥珀の眼を覗き込んで、京が笑う。
「俺の命が欲しけりゃ、俺だけを見ていろ。――他の奴なんざ、一切構うんじゃ、ねぇ」
囁かれた言葉に、庵は眉間を寄せた。
もとより、京以外を構った覚えなどなかった。
しかしそんな返答は脳裏を過るのみ……。熱を帯びた傲慢な口調が、その眼差しが、庵の脳髄を焼き尽くし始めていた。
「テメェが二度と他を見ねぇよう――刻んでやるよ、俺を」
マグマを内包するような京の宣告に、庵の意識が発火した。

――服をはぎ取られ、京の身が伸し掛かかっても。
最早、庵は抵抗を取らなかった。
庵の全身に余すことなく京の指が辿り、白い皮膚に朱の花が散る。
二人分の色をのせた荒い息が霞のように宙に溶け、濃密な空気が互いの酔いを深める。
穿たれる熱に――きつすぎる内部の熱さに……、二人して身体を仰け反らせる。
互いに。
それしか知らぬように、ただ互いの名を呼び合って。
熱の応酬をただひたすらに繰り返し……、二人同時に、目が眩む白熱の向こう側へと溶け果てた……。


陽光輝く蒼天に、爆炎が舞い踊っていた。
瓦礫が塵と化す暴風の余波を避けるように、紅丸は目元に手を添え、暫しそれを眺めていたが。
「……で、結局何だったんだ……?」
合点のいかぬ顔で後方に座り込む京を見遣る。
疲れ切ったような、それでいてどこか満足げに胡坐をかいて座り込む、京の膝には。
赤い髪の男が――瞼を閉ざして横たわっている。
「――ん〜……、さぁな。
何せ、俺が行った時にゃ、コイツが全て終わらしちまった後だったからよ……」
言いながら。
京が指でそっと赤い髪を額から払う。
途端にあらわになる、血の気の薄い、白い貌。
――黒幕を倒して力尽きたのだろうか。放っておくわけにもいかないとしても、何故京が、自らの命を狙う物騒な男を、まるで壊れ物のような風情で扱うのか……。疑問は幾つか湧く、けれど。
赤い髪に縁取られた、透き通るような淡い横顔に、視線ごと意識が吸い寄せられてゆく。
押し黙る紅丸の目線に気付いた京が、不機嫌そうな表情で腕を動かし。紅丸の視線から隠すように庵の頭を抱き込んだ。
顰められた凛とした眉の下、炎を宿したような黒い目が、暗に『見るな』と語っている。
独占欲丸出し、としかいいようのない行動に――今度こそ紅丸は呆気にとられた。
(……どーなってるんだ、一体??)
何もかもが、さっぱりわからない。……が。
どのみち、最初から。
この二人には、二人にしかわからない、濃密な――理性はおろか、感情さえも凌駕するような――共鳴に似た何かが、あったのだ。
それは、何と呼べばいいのか……、自らでどうしようもないほどの『何か』など、体感したことがない紅丸に判るはずもなかったが。
(ま、なるようにしかならない――つーか、なるようになった結果なのか……?)
肩を竦めて嘆息を落とし、紅丸は疑念を切った。
……それにしても、何だか居た堪れない。
大の男が、同じような体格の男を膝枕させ、嬉々とした様子でその顔を覗き込む――こんな空気……。
横でただ腕を組み、爆炎を望む大門の朴念仁さを羨ましく思い……、つと。
「そういや――京、親父さんは?」
「うむ、そういえば見当たらんが……」
紅丸の言に、大門が首を巡らせた。
京は大きく瞬きし。目を伏せてフッと笑った。
「親父のことだ、あの程度で死ぬ訳ないと思っていたが……。まぁそのうち、ひょっこり帰って来るぜ」
――いや、お前忘れていただろう……。
紅丸は胸で独りごちつつ。
この男の父親ならば、心配もいらなさそうだと思い至り。
「そうか……、そうだな!!」
思わず零した口端の笑みにつられるように、京も力強くニッと笑って、
「それじゃ……、帰るか! 日本へ!!」
「ああ!」
同意を返した紅丸と大門に頷き、京が膝の上の庵を肩に担いで立ち上がる。
歩き始めた京の背で。自然と目に入る逆さになった――薄い桜色の唇を僅かに開く庵の寝顔に無意識に見入っていた紅丸に。
肩越しに振り向いた京が剣呑な表情であからさまな牽制の視線を流してきたものだから、紅丸は吹き出した。
「どうした、紅丸?」
物々しく尋ねる大門に、紅丸は頭を振った。
「いいや、何でも」
可笑しさを空に逃がし。
――とりあえず、あの凶暴極まりないはずの男が目覚めたら何て言ってやろうか……、と紅丸は笑いを噛み殺して暢気に考えた。

空は果てしなく青く、何もかもを包み込むような穏やかさに満ちていた。




お題:秘密(Pola star
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