【累々舎】京庵・SS

累々舎

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アイノコトバ

麗らかで、清らかな陽光を含んだ風が香るような日だった。
キラキラと周囲に光の雫を撒き散らす太陽は、まだ中天にも昇りつめてもいない。
つまり、午前中だった。
ゆったりと時が流れる窓辺で、八神庵はスコア片手に胡坐をかいていた。
眉間の皺は、戦う時とは異なる辛苦を刻み、目の下には徹夜明けらしいうっすらとした陰が刷いている。
穏やかな静けさの中で、庵は差し迫るライブの曲目のベースラインについて、真剣に考えていた。
幾ばくかの後。メロディーが形になったらしい庵が、ペンを手にした時だった。
傍若無人な足音とともに、玄関のドアが勢いよく開いた。
反射的にギッと眉尻が上がり、赤く長い前髪に隠れた額がビクリと脈打ったが、庵は硬く口を引き絞り、文句一つ、視線一つ向けなかった。浮かんだメロディーをスコアに書き込むことを優先させたのだ。
足音はリビングのフローリングを得て、より一層強くなった。庵は頭の中のメロディーを必死で追ってスコアに記す。足音はどんどん近くなる。そして庵がいる場所で止った。
足音の主が庵を見下ろしている。
……だから何だというのだ。庵はスコアの上で手を動かし続け、目は記すものを追っている。
庵の耳より上の位置でシャカシャカとビニールが擦れる音がした。
ドン! と床に何かが置かれる音と、足音の主がドサリ! と胡坐をかいて庵の真横に顔を突きつけてきたのは同時だった。
庵の頭の中のメロディーは、綺麗さっぱり霧散してしまった。
激怒一閃。そんな眼で庵は足音の主――ついでにいうなら傲岸不遜を冠するこの部屋の契約者にして庵を同居させている旧き宿敵、草薙京を睨みつけた。

……★……☆……★……☆……★……

燃えるような強い感情を宿した光は、京の眼の中にもあった。
そして強い決意を秘めた、引き締まった表情で庵を見据えている。
互いを見てぶつかる視線は微動だにしない。瞬きすら忘れる苛烈さは、二人だけが知る、二人だけの決闘前の緊迫感が漲っていた。
床に叩き置いた物に手を添えたままだった京の手が、ジリジリと動く。ゆっくりと、二人の顔の間へと上げていく。
京の黒々とした虹彩の中で見分けのつきにくい、深い闇色の瞳孔をギッチリ捉える庵の目端に、京の手にするものがおぼろげに見えてきた。
……何だ? 酒の瓶……?
鮮やかな青い瓶だった。下方に金と青で鳳凰めいた柄と銘が入っているようだが、さすがに判別できない。
音から、京がこれをビニールから取り出したのは庵にもわかる。そしてこの酒の瓶が、少なくともコンビニで買える代物ではなさそうなことも。
朝、起きだした京が窓辺で夜明かしした庵を見て、洗面所だのキッチンだのとしばらく家の中を動き回った後、何も言わずに出て行ったのも庵は承知していた。
一瞥だにしなかったけれど、目線の気配で、玄関ドアの開閉の音で――更に言うなら、京自身の強烈な存在感が行動の逐一を庵に悟らせるのだ。
視線は依然と外さない。けれどグルグルと庵の思考が巡りだす。
……出て行ってこれを買いに行ったのか? 出掛けてから何十分経った? 何時間か……?
酒屋が近くにあるのかどうか、庵は知らない。たとえ自分が住んでいる場所だとしても、町の構造など庵には興味がないからだ。本当に必要ならば、どれだけ時間をかけても庵は見つけ出すことが出来たから、記憶する必要性を見出せないのだ。――常人ならばそれは非効率だというのだろうが、とりあえず庵にはそんな価値観はなかった。
――そんなことよりも。
「何のつもりだ、貴様……」
ようやく固まった思考の疑問を、庵は尊大な口調で低く唸るように言った。
張り詰めた空気を醸し出す睨み合う二人の間に突き出された、酒の瓶。
一体これに、何の意味があるのかと。
京の口元が笑みの形に吊り上る。獰猛で飛びかかる前の獣の笑み。――庵の全神経がビリと震える。庵の指先にあるスコアが揺れた。指先が触れる部分のスコアの紙が、うっすらと煤けた。
そして、京が口を開いた。
「――ヤらせろ」
非常に明確な一言だった。

……★……☆……★……☆……★……

「…………」
無言のほかに、何が返せるのか。
庵は凶悪な目つきそのままで、固まっていた。
……今、コイツは何を言った?
聞き取れなかったわけではない。庵の意識にビシッと亀裂が走り、真っ二つにされたような感覚だった。
一瞬の状況把握は格闘においても最重要事項である。それに長ける庵の思考は、この局面でも遺憾なく発動した。
つまり京の一言は、艶やかさを帯びた低音の声質まで、正確に庵の頭の中で再現された。
その、結果。
「――なっ……」
全身をわなわなと震わせて、庵は一息で大量の空気を取り込んだ。
「貴様ァァ!! 何を言っているッ!!」
怒号とスコアを放り出した指の本気の爪が飛んだのは、同時だった。
「うっわ……!」
叫んだものの、京は胡坐の態勢から一瞬で後方に跳ね、庵の攻撃を避けた。
「何すんだ、てめえ! 危っねえじゃねーか!!」
手の甲で頬を拭うようにしながら京が怒鳴った。切れてはいないが、頬には裂かれた空気の衝撃でうっすらと赤い線がついている。
「危ないだと!? 戯言を抜かすなバカが! 貴様のそのふざけた口を二度と口を利けんようにしてやる……!!」
ゆらと立ち上がった庵の気配が紫炎の様相を帯びるのを、京は見た。慌てて、告げる。
「待てよ、庵。そーじゃねえだろ。……とりあえず落ち着けって」
先刻までの尖った空気を払拭するように京は横向きで俯き、ハァと嘆息した。
大きく瞬きを一つして、再び庵に向き直る。酒の瓶を、突きつけて。
「……だから何の真似だ、それは」
ビリビリとした気配は消えてはいないが、気勢は大分削がれたらしい。庵が苛立ちのこもった声で言う。
「いや、だから」
京は困ったような拗ねたような様子で唇を尖らせ、
「お前さ――もうすぐ、誕生日じゃん……」
言って、ゴソゴソとジーンズのポケットを探り、箱を取り出す。
掌に載せて庵に差し出された箱は――目薬だった。
「…………は?」
さすがの庵も唖然と箱に目を落として、数度、瞬きをした。
意味が、意図が全くわからない。
疑問そのままで庵が顔を上げて京を見る。
「いや、だからさ――庵お前、この頃あんま寝てねえだろ。ずっとライブの曲にかかりきっててよ。……だから酒にコレ入れて、飲めよ」
「……何……?」
酒と、目薬。――確か、それは。そのような、効果があると聞いたことがあるような、ないような。
「睡眠薬代わりのつもりか……?」
怪訝と、庵が問う。
あまり寝ていないから、眠らせたいという意味なのだろうか、と考える。
庵に睡眠薬が効かないのを京は知っている。だからこんな物を買ってきたのだろうか、と。
「まぁな。試してみてもいいだろ。もし効いたら――」
ニッコリ。好青年の見本そのもの、といった顔つきで京が破顔した。
「その間に、ヤるから」
再び。庵の意識にビシと亀裂が走った。

……★……☆……★……☆……★……

何を――とベタな問い掛けを、庵はあえてしなかった。したくもなかった。
代わりに。
「バッカか、貴様ッ!! 真昼間から何ふざけたことを言っているっ!! 死にたいか!!」
怒号と威嚇の紫炎が一筋飛んだ。
勿論、京は避けた。そして抗議の声を張り上げた。
「ふざけてねえよ!! 俺は本気だぜ!!」
「戯れるなっ!!」
ガッと互いに掴みかかる。顔の横で握り合った手が互いにギシギシと骨を軋ませている。
家の中だと思い至ったのか、炎が出てないのは建物にとっては幸いだが、どちらも音を鳴らすほど噛み締めた歯を覗かせた凶悪な形相である。
「大体なぁっ! ふざけてんのは庵てめえだろうが! 何日、ヤってねえと思ってんだっ!!」
「俺の知ったことかっ!!」
京の詰問に庵は顧みもせず叫ぶ。いわずもがな、庵はこれと決めたら突っ走る性質である。そして今は忙しい。溜まってるかどうかを感じる暇などないのである。
「てめ、え……! 人がわざわざ気遣ってやったってのに、その言い草はねえだろっ! ああマジブチ切れたっ!! てめえ本気で啼かせてやるから覚悟しろよ……っ!!」
ジリジリと京の手の力が増して組み合いの拮抗が庵の劣勢へと傾いていく。
馬力だけは一丁前だと庵は舌打ち代わりに歯を鳴らし、吼えた。
「気遣いだと!? 人を眠らせてヤることが貴様の気遣いとは、どういう了見だっ!!」
「十二分に気遣いだろうがっっ! てめえは寝れて、お前も俺もスッキリできる、一石三鳥じゃねえか!!」
「何だ、その安直な発想は!! 貴様は、俺を何だと思ってるんだっ!!」
「あぁ!? 言われてえのかよ、てめえ! コイビトだよ、恋人っ! それだけじゃねえけど――
わかってんだろ!? 言わせんな!!」
京の毅然とした叫びに。カッと、庵の意識が発火した。
「誰がだ――ッッ!!」
京の膝に蹴りを叩き込み、態勢を崩したところへ肩を入れた追撃を加え、庵は京を吹っ飛ばした。
「ッ……! やってくれるじゃねえか……」
ひょいと身を起こし、習性的に京が拳を構えて庵を見れば。
庵はわなわなと目に見えるほど全身を震わせ、
「きっ、貴様は……、よくも恥ずかしげもなく……!」
怒りと――羞恥で、ものの見事に赤面していた。

……★……☆……★……☆……★……

そんな認識を持たれる覚えはない……、とは庵にも言えない。
だが。殺し合い潰し合いを心底に抱える自分たちの関係で、狭間をたゆたう朧な感情で付加構築されたそれを――明確な言葉にした京の神経を疑って、庵の羞恥を呼んだのである。
京は無論それを読み切った。構えを解き、ハッと勝ち誇った笑みを見せた。
「事実だろ。今更、何言ってんだよ」
ギラと燃える眼差しできっぱり言い切られ、庵の顔を染める色が首筋から耳まで範囲を増した。
庵の怒りと羞恥が濃度が増して、混濁する。
「そ、それ――と、いうなら……」
意識が、理性が燃えているように庵には感じられた。
精神に大打撃を喰らったようなものだった。ピヨり寸前である。
対する京は平然としている。
それが憎々しくて、庵は気付けば叫んでいた。
「貴様の言う、それだというなら――もっと言い方があるだろうっ!!」
「……あ?」
京が意表を突かれた顔をしたので、庵は勢い付いた。
「いきなりヤるだのヤらせろなど、短絡的な言葉しか脳に詰まってないのか、貴様は! ――それほどヤりたければ、俺をその気にさせる口説き文句の一つぐらい捻り出したらどうだ!!」
顎を反らす尊大ぶり。今にも高笑いをしそうな高圧的な態度で庵は言い切った。言い切って、しまった。
京はその勢いに少し驚いた風にきょとりとしていたが。
「……ふぅん……?」
黒い翳りを、面差しに呼び込み。
見る者に嫌な予感しかさせない、昏く質の悪い笑みを浮かべた。
生憎と京の眼前にいるのは相も変わらず庵である。そんな京の笑みを庵は何度も見ている。ただの一度も怯んだことはない。無論、今とて。
ただ――第六感でも働いたか、庵は背中に薄ら寒いものを感じたような気が、した。

……★……☆……★……☆……★……

ジリ、と。
「……つまり、あれか」
艶めいた京の低い声は、種火を内包しているようだった。
「俺に、口説いて欲しいわけか」
庵が刮目する。一瞬走った悪寒は無視して言った。
「……俺相手に、出来るものならな」
「いいぜ? 別に」
ニィと京が笑んだ。アルカイックな黒さで。
一歩、一歩。緩やかに京が庵へと近付く。
そっと腕を上げ、サラと庵の頬にごく微かに触れる。
「――庵」
庵の心音がドクと一音、強く打った。――反して、血が引いていく感覚。
「お前見てると本当どうしようもねえんだよ……。戦ってる時も、今も。自分の炎で焼かれるみてえに熱くなる……、心も躰も」
「…………ッ」
庵の腰に腕が回される。
ゾワゾワと足元から這い上がってくる冷気を庵は感じた。
「だからお前にも俺の炎をくれてやりたくなるし、お前の炎も欲しくなる。――炎だけじゃねえ……、庵の全てが」
頬に当てていた手が、庵の半顔を隠す長い前髪を掻き上げた。あらわになった切れ長の目が自然細まり、僅かに瞳が揺れた。
その様を間近で覗き込もうとしたのか、京の顔が寄せられる。
「庵……。お前、月の光が一番似合うけど――陽を浴びるお前も、いいな……」
赤い髪を梳くように後頭部を撫で、口付けるような角度で京が迫り、庵は全身が凍る思いで呼吸を止めた。
唇が触れそうな距離で、だが。京の口は、庵の耳に移動して、
「――すっげぇ、綺麗」
低く、甘く囁いた。
押し寄せる荒波の音を引き連れた悪寒が、庵を飲み込んだ。
「キ……、京オォォォ――ッ!!」
叫んで、庵は京を振り払い、本能から何処なりと逃れようとした。それでも背中は見せない、当たり前だ。いうなれば、憎悪の欲望と執念が違う、のだろう。――おそらくは。
窓が開いていなかったのは幸か不幸か。庵は窓ガラスに背中を張り付けて京を睨め付ける。対峙の時常にそうであるきつい眼は、しかし凍りついている。
「……何だよ。そんな情熱的に呼ばなくったって聞こえてるぜ」
ニヤニヤと京が笑う。
「まだ足りねえ? だったら――」
「やめろっ!! もういい!!」
肺の中の空気を全て吐き出すようにして、庵はとうとう頽れた。
頭の片隅で『K・O!』のコールが遠く聞こえていた。
――このままでは終わ……、いや言うまい。と庵は理性を振り絞って慣習の台詞を腹の奥底に沈めた。さすがに分がなさ過ぎる。いわんや京相手など。少なくとも今は、殊に。
京は笑いを貼り付けたまましゃがみ込み、項垂れた庵の頭を数度、軽く叩いた。
「ヘッ、『燃えたろ?』――なーんて、さすがにねえよなぁ。素面じゃ言ってるこっちもさみーもんよ。……ってわけで、呑まねえ?」
転がっていた酒瓶を引き寄せ、京が笑む。庵はその顔を怨むように見て、瓶を奪った。手刀で瓶の口を割り、そのまま呷る。
カッと喉が焼ける。グラリと来る酩酊。
「バカ!! これ60度ぐらいあるんだぜ!?」
慌てた京が庵の手を押さえる。
「――フン、この程度では足りんな……」
気管を焼く痛みで水を張った庵の目に、ニヤと笑う京が映る。
「足りなきゃ俺が、ドロドロに溶かしてやるよ」
「……死ね」
最後の足掻きのような庵の呟きは、京の口に吸い込まれて、消えた。




(2015/03/18)
意図せず、誕生日近日話っぽくなった! 祝われてないけど!!笑
庵サンの逆襲バージョンも書きたい。でも言葉使わなそーだし、逆になりそう;
京ちゃんはペラペラ言えちゃうタイプ、だろう。ポエマー魂は書く時は炸裂するけど、喋る時はちゃんと境界線を無意識に見定めてそうだ笑
一文はオマージュです。元ネタは北○の……、土下座。




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