【累々舎】京庵・SS

累々舎

http://ruiruisha.hanagasumi.net/

セカイノオト、キミノオト

肌寒さを覚える冷えた夜風が潮騒を遠く運ぶ。
闇に沈む中天に浮かんだ白く細い月が、暗く澱んだ海をただ無情に見下ろしていた。
その月光と、同じ冷ややかさを湛えた朱色の虹彩を持つ切れ長の双眸をふと細め。
波の来ない位置の砂浜で佇んでいた八神庵は、ふと左手を月に掲げた。
白く、骨ばった細い指が、月の形をなぞる。
スクエアに切りそろえられた爪がちらと月光を反射させた。
どれだけ全身の気を高めても。
その手から、物心つく以前から馴染んだ紫の炎が迸ることはない。
その事象が――庵の全身と感覚に巣食う違和感をますます強調させられて、庵は力なく腕を振り下ろし、小さく息を吐いた。

炎を奪われ、意識を取り戻して庵が最初に気付いた違和感は。
世界の、あまりの静けさだった。
オロチの、八尺瓊の力の象徴を奪われたとて、庵に流れる血が変わるわけではなく。
庵が生れ落ちた時から感じていただろう数多の怨嗟は、消失こそしていないが。
あえて意識しなければ雑踏のざわめき程度にしか感じ取れず――確固たる自我を保つことに多大な集中力を保つことに慣れすぎた意識が感覚のずれに戸惑う。
そのずれは、耳にするもの、目にするもの……、何もかもに派生していて。
そのあまりの違いに、庵は半ば途方に暮れた。

ひとけのない夜の海は、終焉した世界の風景に似て。
全てが忌々しく、全てを灰燼に帰させてしまいたいと身の裡で猛り狂う激情を幾ばくかでも沈める効果があった。
庵にとってはその激情すらも忌まわしく、その呪縛から解き放れたいと望んではいたが――はからずしもそれが叶ってしまって痛感するのは、ひたすらな拠り所のなさ、だった。

オロチの、八尺瓊の怨嗟に飲まれぬよう、ひたすらに自我を保ってきた筈だった。
だが、いざそれらから解き放たれてみれば――自身が、ひどく空虚なものに思える。
それほど、庵が解き放たれた世界は静けさに満ちていた。

庵のいる場所から少し離れた背後の公道で、過ぎるエンジン音が周囲の空気を割った。
速度を落とさず通り過ぎたその音が、再びゆるりと近付いてきて、庵は両手をポケットに入れて首を巡らせた。
エンジンを落としたバイクの上で、その主がヘルメットを取る。
さらと流れる黒髪と強く輝く黒瞳を見る間でもなく、庵にはその相手が誰なのか、わかりきっていた。


――何故、そんな気になったのか……、と草薙京は自嘲的に思う。
京が全身の苦痛で意識を取り戻し。
一番先に気になったのが、京が意識を失うまでに痛めつけた相手……、八神庵のことだった。
咄嗟の驚きと躊躇から後手に回ったとはいえ、暴走した庵の猛攻に成す術なく屈したという事実は否めない。
どうにも業腹で……、すぐさま借りを返しに行きたいところではあったが、しかし京は動けなかった。

八神庵が、炎を奪われた、と。
そう聞かされた、から。

オロチの力の象徴たる、紫の炎を。
封じの力の源流たる、八尺瓊の炎を。

嘘か真か、そんなことを探るのに意味はない。
奪われれば、自力で取り返すのだろうと――容易く確信できるからだ。

けれど。
オロチの、八尺瓊の力を奪われた庵が、自分をどう見るのか。
炎を失った庵を、自分はどう見るのか……、その対峙の時を思うと、京の胸中に怯みが生じた。

自制など到底つかぬ、言葉にするならば愛憎表裏一体というしかない、どうにもならないほど深く絡み合った互いへの執着心。
血が、炎が呼ぶ――互いにとって、ただ一人の相手。

その、拮抗が崩れた時。
自分たちは、互いに何を感じ見るのか――
それを知るのが漠然と怖いのだと……、京は悟っていた。

オロチの血による力が全開放された暴走状態の庵に完膚なきまでに叩きのめされた事実も勿論だが、自覚せざるを得なくなった自身の心情の弱さも腹立たしく。
苛立ちが最高潮に達する前に吹っ切ってしまいたくて、京は夜道をバイクで驀進していた。
目的地など無論なく、ただ当て所もなく、帰路さえも忘れて適当にバイクを流していた筈なのに。
――何故、そこに辿り着くのか。
前方を見据えるだけの視界の端に、何故、それが映ったのか。

加速して突き進め、と頭のどこかが指令を下しているのに。
何故、身体は減速へと動き……、そこへと向かうのか。

ヘルメットを脱ぎ捨てた京の吊り上がった唇は、自嘲を多分に含んでいた。


バイクを降りながらミラーにヘルメットを突っ掛け。
京はガードレールをひょいと飛び越え、砂浜に降り立つ。
のんびりとした風でありながら、王者の風情を見せる足取りで庵の傍へと歩みを進めつつ、ライダースジャケットの内側から煙草を取り出し、指先の炎で火をつける。

「何、こんな所で一人でカッコつけてんだよ」

ふうと深く吸い込んだ紫煙を吐き出して庵に言葉を投げる京の態度には、いつも通りの傲慢さで。
対する庵は、凛と張り詰めた抜き身の刃を思わす眼光を京に投げた。

冷たく冴えた庵の気配。
だがそこに、紫の焔の幻影は――ない。
しかしその気配の変化に、『欠けた』という印象もない。
むしろより一層、凍てつくような鋭さを増したその気配は。

「……焔の鞘を打ち捨てた抜き身の刃、ってか。笑えねえ……」

口の中で小さく零しながら、それでも京の顔には笑みが浮かんでいた。
脳髄から背筋へと、ぞわりと全身に走る、高揚とも歓喜ともつかぬ感覚に、血が燃え立つ。
具現せずとも、京は自身の気が紅蓮の炎と化していくのを知覚する。
そうして同時に。それを看破する庵の気もまた、ギンと刃先が軋む音がするように高まっているのを、京は見た。

「炎を失っても、俺の炎が呼ぶのはてめえらしいぜ?」

光栄に思えよ、とでも続けそうな勢いで京が顎を軽く上げて黒く笑む。
どこか眩げに片目を細める庵もまた、忌まわしさを白い貌に全面に表して柳眉を吊り上げた。
闇をも灼き尽くすような熱の気配に、庵の全身がわななく。
戸惑いも空虚さも、瞬く間に消し飛ぶ――京を目の当たりにする時にだけ生じる、不変の感覚がふつふつと滾りだす。

「下らん御託を……。わざわざ貴様から出向いて来たのだから、この場を死に場所にしてやろう――京!」
「ヘッ! 毎度同じ台詞だな、てめえは……。素直に大会前のウォーミングアップに付き合って下さい、ってお願いしてみろよ」
「戯れるな……!!」

庵が京に構えを向け、前方に伸ばした白い指の爪先が、月光を弾く。
それを、合図に。
紅蓮の炎が地を走り、砂を散らした。


丈の短いジャケットから曝されている白い腹部へと叩き込まれようとした京の炎を纏った拳を、庵が鋭く腕で払う。
それを見越していた京が、逆側から手加減なしの火炎の塊を放つ。
第六感に等しい域の反応で庵は上体を逸らして直撃を避けたが、技の勢いからは逃れ切れず、砂地へ吹っ飛ばされて背を打つ。
衝撃で見開いた視界に、宙でニィと笑う京が見え。
その着地を許さず、庵は片膝を地に着けた低い姿勢で身を起こし――ガァと吼えて、右腕を空へと大きく鋭く弧を描かせて振るった。

「……!?」

京は咄嗟に両腕でガードを固めたが、既に遅し。
大気を裂く三本の弧の牙が京の全身を襲い、京は受身を取る間もなく砂の上に落とされた。

「……って……!」

ぬる、と頬を伝う感触。
身を起こしながら京が見据える先で、庵は紅く濡れた指先を凪ぐように払っていた。

「――ハッ、炎が出なくなったってのに随分と威勢がいいじゃねぇか。……可愛くねえ」
「それ以上死に化粧を施されたくなければ、減らず口をほざくな」

言いながら。庵は僅かに指先に残った京の血を舐め、薄い笑みを見せた。
熱を宿した朱の瞳がキラと光り、白い貌に蠱惑めいた色を添える。
その様に。京の背に、戦う前とはまた異なる戦慄が過ぎった。

「おい、舐めるならこっちが先だろ」

切れた頬を指差してニヤリと笑って京が告げると、庵はフンと鼻を鳴らした。
しかし長い前髪の間から覗く切れ上がった双眸は、逡巡するような、品定めするような視線を京に流し。
庵はフッと短く息を吐くと、砂を鳴らして座り込む京に近付き、両膝を落とした。

互いに熱の孕む眼を瞬きもせず凝視する。
庵の半顔を覆う赤い髪を京の手がかきあげ、その手が白い頬へと滑り下りると。
その手の平に擦り寄るように庵は首を傾けて睫の長い瞼を落とし、京の切れた頬に舌を這わせた。
ちりとした傷の痛みより、庵の薄い舌の熱さに反応して。
京は空いた手で庵の顎を掴み、その舌を乱暴に口腔におさめて貪った。
庵の両腕がゆっくりと京の肩から首へと回る。
息が上がって、熱い息を零しながらどちらとともなく口を離して、視線を絡ませれば。
眼にはどちらも同じ熱を宿っていて、微かに笑みを交し合う。
京の両手が庵の白く細い腰をそっと撫で下ろす。

「……やっぱ変わらねぇのな、てめえは」

どこか安堵を秘めた京の言葉に、庵は一瞬だけ柔らかな笑みを見せ――だが即座にフンと顎を反らせて性質の悪い笑みに塗り替えた。

「炎が奪われれば俺に殺されずに済むと思ったか、京」
「……ちょとは落ち込んで可愛げぐらい見せろってんだよ、バカ八神」

面白くなさそうに京は眉を顰め。
それを愉快気に見下ろして喉で笑う庵の首筋に、京は思い切り噛み付いた。



……★……☆……★……☆……★……



【おまけ】


規則正しく響く潮騒に、不規則な濡れた音と熱い息の音が混じる。
綺麗に筋を張った白い首に吸い付き、いくつもの痕をつけながら、京の指先が庵のジャケットの襟を押し広げにかかっていた。
圧し掛かる京に逆らわず、砂浜に背を付けてされるがままになっていた庵だが。
その段になって、ようやく投げ出していた腕を動かし、京の手首を掴んだ。
「――おい、京。まさかここで最後まで済ませる気ではあるまいな」
「あ……?」
不興気な庵の低い声に負けず、京が剣呑な声を出して顔を上げた。
「てめえこそまさか、ここでやめろとか言うんじゃねえだろうな……?」
襟にかけていた手を離し、京の指先がついと下肢の中央をなぞり、反射的に庵が小さくのけぞって小さく声を漏らす。
「何だよ、コッチはすっかりその気じゃねえか」
今更焦らすもねえだろと、その胸元に沈もうとした京の後頭部に庵の手刀が落とされた。
「痛っって〜〜〜!!」
堪らず頭を押さえて呻く京を蹴り落とし、庵は素早く起き上がって身繕いを整えた。
「バカか、貴様は。場所ぐらい、考えろ!」
髪についた砂を払い落としながら庵が怒鳴る。
「あぁ……!?」
条件反射的に京は不満の声を上げるが。
見渡さなくとも背後は海。
そして正面は――視界を遮る役には全くならない、白いガードレールが区切るだけの、片側が山斜面の公道であった。
穏やかにうねる水平線の先では、僅かながら淡い桃色が宿り始めている。
交通量が少ないらしい公道も、さすがに日が昇る頃まで現状のまま、という筈もあるまい。
「……あ〜、まぁ――そうだな」
ふぅ、と京は嘆息を漏らし。
「どっかしけこむかぁ……。っても俺、大して金持ってきてねえわ。八神、お前は?」
「……知るか」
「はぁ? ――つーか、そういえばお前、ここまでどーやって来たんだよ?」
走ってきた距離と方角を脳裏に浮かばせ、大体の現在地を把握した京が疑問を口にした。この辺りは都心部からかなり離れている。
今更といえば今更だが。毎度、庵とは公共の交通網から離れた場所で遭遇することが多いが、そういった場所にいる庵の移動手段について京は考えたことがなかった。
――遭遇後は、何だかんだと……、後始末の一環として、京が庵を望む場まで送ってやっているせいでもあったのだが。
軽く首を傾げて庵を眺め遣る京に、庵がギロときつい一瞥を投げる。
その目線を受けた者、ほぼ全員が押し黙る目線であるが、生憎と今、庵の眼前にいるのは草薙京だ。
常日頃から殺意の目線を向けられている京が怯む筈もない。
返答を促す京の無言に。
「……休んでいたトラックが、動いて」
渋々と、といった口調で庵が口の中で呟くように言葉を漏らした。
「――は?」
「停車を待って降りて……、暇つぶしに――歩いてきただけだ!!」
「…………」
唖然と口をあける京を、庵が鋭く睨み付ける。
「何だ、その顔は! 貴様、俺の行動にケチをつける気かっ!!」
「――いや、ケチつけるってか……。つまりてめえは、止まってるトラックの荷台に忍び込んで寝てた、のか……?」
怒号を飛ばす庵の勢いに反して、京は呆れきった表情で額に手を押し当てた。
「八神お前……、帰る家ねえの?」
「バカを言うな! あるに決まっているだろう!!」
「じゃあ何で、いつ動き出すかもわからねえトラックの荷台に忍び込んで寝てんだよ? バカか!?」
「うるさい! 眠くなったからだ!! ……俺の勝手だろうがっ!!」
怒鳴ってプイと横を向く、言動と全くそぐわぬ端整な白い面差しを暫しポカンと眺めて。
京は深々と溜息をついた。
「……ったく、お前って本っ当、とことん訳わかんねえ奴だよな……」
お前に常識が抜け落ちてるのは知ってるけどよ、とぼやくように続けながら、京は砂を払い落としながら立ち上がった。
「ま〜、とりあえずは送ってやるから、帰ろうぜ」
京より大分細い庵の白い手首を掴んで半ば強引に立ち上がらせ。
「――続きはお前の家で、な」
有無を許さぬ眼差しを向け、ニヤと耳元で囁く京に、庵は額に青筋を立てた。
「ふっざけるな! 気が変わった! やはり貴様はここで殺す!!」
「何でそーなるんだよ!? マジでいい加減にしろよてめえ! てめえの服全部燃やしてここで犯ってもいいんだぜ、俺は!!」
「この下衆がぁっ!! 灰と見紛うほど切り刻んでやるっ……!!」


洋々と上り始めた清々しい、その日の朝一番の陽光は。
どこまでも続く砂浜の上で、血風と紅蓮の炎が幾重も唸りを上げる中で迎えられたのだった……。




(2014/9/21――2015/03/20)
公/式があんまりにもカッコ良くて、そのヴァージョンで書いたものの――
「あ"あ"あ"あ〜〜!!!」とまぁ……、紙だったら破り捨てたい衝動に駈られて放置してたモノ。
整理してたら出てきた。
……そもそもドッ素人のアタマイカレテル領域なんだから、比べる方がオカシイんだって思ってUPしてみました! (開き直り、焼き土下座


<< back||TOP